らくちんライオン

デザインと育児と整理収納のはなし

さようなら、ロスジェネの私

今は売り手市場らしい。

インターンで職場体験をしてもらって、会社の良さを知り、ぜひうちの会社を受けてもらいたい」
会社の採用担当からも、そんな話を聞くようになった。
いまの新卒は、無料で職業体験までできるのか、オープンキャンパスみたいだな。
そう思った後、少し胸がチクチクした。羨ましかった。

内定して、入社式があって、研修があって、同期がいる。
人事のカリキュラムに添って、丁寧に指導してもらい、経験を積んで、給料も上がっていく。
そんな風に私もステップアップしたら、今とは違う自分になっていただろうか。
私には、入社式も研修も同期もなかった。
「社会人 3 年目は、どういうスキルを身につけたら良いのでしょうか?」
そんなことを真面目にきいてくる若い子に、私はなんと答えたらいいか分からない。
そんな風に学年みたいに年数をカウントしてステップアップしていなかったし、
私の経歴のいつからが社会人 3 年目なのかも曖昧だからだ。

私が大学を卒業した年は就職氷河期のど真ん中だった。
就職氷河期ってどんなものか、若い人は知らないかもしれない。

とにかく求人がなかった。そして、若干名募集 ( 2 〜 3 人の採用 ) の会社に 3,000 人が受けにきていた。
私のいた大学でも、30 社落ちた とかざらだったし、卒業間近になっても就職先が決まってる子はあまりいなかった。同じ学部で内定があった子は、縁故採用だった。公立だったから、偏差値は低くなかったけど、大学が就活に協力的ではなかったので、それもあったかもしれない。
理系の学部では研究室の教授のつてがあったりしたけれど、私のいた文学部は、就活よりも大学院をすすめる教授しかいなかった。

私が大学を決めたのは学びたい学問があって、そこに憧れの教授がいるからだったし、
大学に就職の世話をしてもらおうなんて考えてなかった。
卒業したら、公務員になって『 耳をすませば 』に出てくる雫のお父さんみたいな、
図書館司書になろうと思っていた。
しかし実際に大学に入って、図書館司書の講義をとってみると、実情はだいぶ違った。
図書館情報学の教授は言った。図書館司書はこれから派遣社員やパートの仕事になる。
公務員で図書館司書は新規ではほとんど採用がなく、あっても他の部署に移動になる可能性が高い。
図書館の役割を思うに、これからはインターネットの時代だ、と。

そうして、就活なんてやる気がなく、もっと研究をしていたかった私も
就活をしなければならなくなった。

当時の就活は、それまでハガキや電話だった、会社説明会の申込みが、
インターネットに変わった時期だった。
私は当時大学の寮に住んでいて、インターネットの回線がひけなかったため、
バイト代でシグマリオンとドコモの P-in を購入して説明会のネット申込に参加していた。
モバイルギアってやつ。ゼロハリデザインでカッコよかった。

採用までの道のりが、とにかく長かった。
会社説明会予約、説明会に参加してエントリーシートを入手、履歴書とエントリーシートを記入して送付、1次試験(SPI 試験はまだ会社ごとに別のものを受けていた)、集団面接、2次面接、3次面接、4次面接、最終面接。だいたい 4 次面接ぐらいで 10 人前後に絞られて、そこから若干名が最終面接に進む。

そして意図的なのか、そうでないのか、面接の日程は同じ業界でかぶっていた。
どちらか選ばなくてはいけないこともあった。
同じ日に A 社 と B 社の面接があって、A 社 が要スーツで、B 社 が要私服だったけど、
時間的に走れば行けそうだったから、A 社 の面接のあと、駅のトイレで服と靴を着替えて
荷物をコインロッカーに入れて走り B 社の面接に行く、なんてこともあった。

私は 3、4 次面接くらいまでは残ることが多かった。
同じ業界だと、どの会社でも残ってるメンバーは一緒だった。
でも私はいつも採用されなかった。
ここまで残って採用されないのは、よほど人間的に引っかかるものがあるのだろうか、
なんて、真面目に悩んだりもした。
私の人間性に問題があるなら、いっそのこと、書類で落としてくれてたら
お互い時間もお金も無駄にならないのに、と。

男女差別的なことも多少あったと思う。
実際、最終 10 人に残ったメンバーの男女比率は男 7、女 3くらいで
若干名に入って採用されるのはいつも男性だった。
不況の時に、産休育休をとったり、結婚して辞めたりする女性を
わざわざ採用するわけがなかった。
圧迫面接も当然あった。

お金もたくさんかかった。まず、説明会が東京でしか開かれない。
でも、説明会に行かないとエントリーシートが手に入らない。
当時関西に住んでいた私は、説明会や面接のたびにお金がなくなっていった。
4次面接くらいだと交通費が出たりするのだけど、全額ではなかったし、
夜行バスで何度も東京にいった。
居酒屋での深夜バイトの後そのまま面接に言ったこともある。
でも採用されなかった。

研究室の教授には、大学院に行くのはどうか?と言われていた。
でも、大学院に行ったらますます就職先がなくなるように思えた。
文学部の女子大生は新卒としてはあまりにも武器がない。
志望できそうなのは、一般職か営業。
それも経済学部みたいに数字や統計を学んでないので勢いだけだ。
私は音楽サークルでイベントの企画の担当をやったりしていたので、
それをアピールして、企画職にも志望の範囲を広げていた。でもダメだった。
友人どころか、学部の誰も内定を貰ってなかったのは救いだったけど、
友人達は比較的裕福な子が多かったので、奨学金を返済しなくてはならない私は
同じようにのんびりしている訳にもいかなかった。

何社も何社も落ちて、気力がなくなってきていた大学 4 回生の夏ごろだった。
ある会社の面接をうけた。個人面接だったから、2 次面接くらいだろうか。
面接の担当に言われた。
「営業も一般職も、キミには向いてない」
初めは圧迫面接かと思った。でもその担当の人はこう続けた。
「話をきいていると、自分で手を動かして作る、デザイナーとかが向いてるんじゃない?」
デザイナー?それって美大とか行った人がやる仕事でしょ?と私は思った。
それを見透かしたように、その人は笑った。
「やればいいよ、今から。まだ若い、まだ何者にもなれる。」
なんだか無責任な人だな、と思ったけど、清々しかった。
自分でも、そんな気がしていたからだ。
でも、就職しなければ奨学金も返せない。だから嘘をついてでも内定が欲しかった。
ある意味、私を採用しなかった会社は正しかった。

その会社も不採用だった。
シグマリオンで不採用のメールを受け取ったとき、
たまたまつけていたテレビで、『魔女の宅急便』がやっていた。
なんとなく惹きつけられて、最後まで見てしまった。
子どもの時から何度も見ていたアニメなのに、妙に言葉が心に響いた。

『才能を生かした仕事だろ。素敵だよ。』
『魔女の血か…いいね、私、そういうの、好きよ。 魔女の血、絵描き の血、パン職人の血… 神様か誰かがくれた力なんだよね。』

そういえば私は、絵を描くのが好きだった。
そういえば私は、物語をつくるのが好きだった。
そういえば私は、言葉が好きだった。
そういえば私は、分類したり整理したりするのが好きだった。

私は次の日から就活をやめた。
選考が進んでいるものもあったけど、全部断った。
こちらから断るのは爽快だった。
卒論を書くのに没頭し、デザインについての本を読んだ。
卒業後、ある会社の、Webサービス系の部署でアルバイトとして働いた。
夜は居酒屋でバイトもした。

その後は Web 制作会社で Web デザイナーとして中途採用で正社員になった。
紆余曲折を経て、今、アラフォーの私は UI デザイナーとして働いている。

20代の頃は、お金がなかったり ( これは今もそうだけど ) 、徹夜続きだったり、会社が倒産したり、
大変なこともあったけど、なんだかいつも、上手くいくような気がしてて、
毎日楽しかった。仲間に恵まれて、いい人に拾ってもらえて、とても運が良かったんだと思う。

年を重ねていくと、いつの間にか人に教えることを求められることが多くなった。
でも、いつも誰かの仕事を見て盗んできたから、教え方というのがよく分からない。
新卒として採用されたことがないので、研修なんて受けたことがない。
教えても貰う側の気持ちも分からない。

苦労したからこそ、今の私があるんだ。売り手市場でラッキーな新人に
私が必死に盗んできたノウハウを単に渡してしまうのは、新人のためにも良くない、
そんな風に考えてしまうこともあった。
仕事がつらいという言葉に、私はもっと苦労した、という気持ちが
頭をもたげてくることもあった。

でも、違う。
就職氷河期の私がした苦労は、若い人達には関係無い。
私の得たスキルは、苦労して手に入れなければならないものでもない。
新人だってラッキーなだけではなく、勉学に励み、真摯に技術を磨いて
数ある会社の中から、この会社を選択してここにいるのだ。

人は辛い経験をしたとき、他の人も同じ目にあって欲しいと思うものらしい。
それは、あの経験があったからこそ、今の自分がある、とか
辛いことがあったからこそ、優しくなれる、とか
少しねじ曲がって善意のように表出してくるけれど、結局は自分と同じ目に合え、
という呪いでしか無い。

体罰で鍛えられたから成長できた、
痛みを乗り越えて出産したから子どもを愛せる、
辛い育児をしたからこそ宝物のような時間になった
徹夜したから、残業したから、

...私はあの時あんなに辛かったけど、乗り越えた。

辛い経験を消化するために、その経験が必要だった、今の幸福に繋がってると
思うことは仕方がないと思う。実際そうだという部分もあるだろう。
でも、それを他の人に押し付けてはいけない。

辛いという人を見て、私の方が辛かった、と思うのはきっと、
辛かった自分の気持ちが しこり となって心に残っているからだ。
だから、時々それが痛みだす。

でも私は囚われることなく、私なりに、私が発見したことを皆に共有したい。
もっと楽しんでほしいし、私も楽しみたい。そして、もっと多くを学びたい。
いつまでも、過去の苦労に胸を痛めていてはいけない。

だから、就職氷河期の私の苦労をここに埋葬しておこう。

あの時私は「まだ若いから何者にもなれる」と言われて、それを信じた。
でも、今はそう思わない。誰だって、何歳だって思いついて行動すれば。

 

アラフォーの今だって、私はきっとまだ何者にもなれる。

  

新装版 魔女の宅急便 (角川文庫)
 

ちなみに魔女の宅急便は原作も素敵。